漁港パロは山岳を切り開いて街を形成していて、港を中心として扇状に段々と標高が高くなっていた。見上げればローラント王国を抱くように峰を連ねている高くて岩肌の目立つ山々が天を突き刺さんばかりに聳えている。
 城塞都市ジャドがビーストキングダムの獣人に支配されていたように、パロもナバール兵によって支配されていた。いつ世界大戦が起こっても可笑しくないような緊迫した状況が続く。ナバールに追われる身のホークアイは、港に降り立ってナバール兵を見つけるなり反射的に仲間たちの陰に隠れて息を潜めるが、すぐ異変に気付く。彼らは決まった言葉しか言わず目も虚ろで、まるで操られている人形のようだった。

「まさか、イザベラに心を操られているのか……?」
「その可能性はありそうだね……明らかに意思がある人間には見えないもの」

 ホークアイとはひそひそと言葉を交わす。王だけでなく全ナバール兵の心操れるとしたら、やはりイザベラは光の司祭の言う通り、相当な魔術の使い手だろう。敵の力を推し量り、恐ろしい思いを抱く。圧倒的な力を持ったものが国家を操り、世界をほしいままにしようとしている。そんな相手に勝てるのだろうか―――と思案に耽りそうになり、慌てて弱気な考えを振り払う。今はそんなことを考えている時ではなく、いち早く精霊を集めなければならない。力で勝てなくとも、マナの女神のお導きがあれば世界は均衡を保てるはずだ。
 心を操られたナバール兵も気になるが、ローラント王国の王女であるリースの様子も気になる。彼女は唇をかみしめて何かに耐えているようだった。今にも槍を振り飛んでいきそうな彼女の様子を見かねて、シャルロットが心配そうにリースの服の裾を掴んだ。

「リースしゃん、あんたしゃんのきもちはよ〜くわかるでち。でもここは、ぐっとこらえて」
「……ええ」

 リースは力なく頷いた。
 パロの町中にはホークアイの相棒の、ニキータと言う猫がいた。しかし彼もほかのナバール兵と同じく心を操られていて、ホークアイの呼びかけに応じることはなかった。ニキータの名前は何度かホークアイの口から出てきたので、知っていた。だからこそ、心が痛んだ。

がそんな顔しなくてもいいんだぜ。ありがとな」
「……早くみんなを解放したいね」

 もどかしい、悔しい、この世界に来てからこんな感情の連続だ。

「なあ、腹減らないか? ローラントに向かう前に腹ごしらえをして、旅の準備を整えようぜ」

 デュランの提案で食事をすることになった。ローラント王国は起伏の激しい山岳地帯の囲われた場所に城を構えている。そこに至るまでの道は、天かける道と言われている。それくらい勾配が大きい天へと届く程高所へと至る山道とのことだった。なので、きちんと準備をしていかないと、辿り着く前に魔物の餌食になってしまうだろう。
 リースが知っているお店を紹介して貰い店に入ると、案内にやってきたウェイトレスがリースの姿を見て明らかに動揺をした。

「リース様……?」
「!! ライザなのね? 無事……だったのね」

 二人は声を潜めて再会を喜ぶ。ライザはローラント王国の生き残り。そう、ローラントにはリースと弟のエリオット以外に生き残りがいたのだ。リースは口元を抑えて静かに涙を流した。

「リース様、実は生き残ったのはわたしだけではありません。山の中腹、『眠りの花畑』に行って下さい」
「おい姉ちゃん! 酒をもってこい!!」
「!! はい、ただいま!」

 ライザは客に呼ばれてその場を去った。本当によかった。なんだかまで泣きそうだった。
 席につくと、リースが声をひそめて『眠りの花畑』について教えてくれた。天かける道にあるその花畑は、一見、天使でも舞い降りてきそうな美しい花園だ。しかしそこの花粉を吸い込むと、途端に深い眠りに就いてしまうという恐ろしい花畑だ。リースも大体の場所は分かっても、正確な場所は知らないらしい。見渡す限りごつごつとした峰を連ねるこの山岳の広さを見れば、その全容を把握するのが難しいことはにも分かった。とはいえそこに行けば、ローラントの生き残りと会える。

「風のマナストーンの前に、眠りの花畑に行ってみよう」

 デュランの言葉に、皆一様に頷きあった。

「ですが……」
「絶対にローラントの生き残りに会うべきだ。リースも色々状況を聞きたいだろうし、風のマナストーンの状況も教えてくれるかもしれない。もしかしたら、これまでみたいに強い魔物がいるかもしれないからな」
「……ありがとうございます」

 もっともらしいデュランの言葉に、リースは深々と頭を下げた。こういうとき、迷わずにリースのことを思いやった提案をできるのはデュランのいいところだと思う。彼の真っ直ぐで優しい性格が実直に現れている。そしてそれに誰一人として反対しないこの仲間たちが、とても好きだった。



風の王国ローラント



 たちはご飯を食べて支度を整えると、眠りの花畑へと向かうべく歩き出した。天かける道は、例えるならば登山をしているかのような、なかなか険しい道程だった。平坦な道は殆どなく、一歩一歩しっかりと踏みしめながら、山の中腹にあるという眠りに花畑を目指していく。途中、羽の生えた魔物が邪魔をしてくるが、リースが手際よく槍で退治してくれた。とアンジェラは後方でとぼとぼと歩みを進めながらため息をつく。

「みんなほんと元気よね」

 アンジェラは艶やかな紫色の髪を鬱陶しそうにかき上げながら、前を行くメンバーを見て言う。男性陣は軽い足取りでなんなら談笑しながら山道を行き、シャルロットもどこにそんな体力があるのか、ぴょんぴょんと跳ねるようにしながら楽しそうに足場の悪い道を移動している。もはや庭であるリースは言うまでもない。は息を整えながら、「ほんとに」と苦笑いをする。

「わたし、眠りの花畑でそのまま気絶するかもしれない」
「あたしも。その時は仲良く手を繋いで召されましょう」

 の言葉に、アンジェラも同意する。可憐な花々が咲き誇る美しい花畑でとアンジェラが手を繋いで気絶する姿を想像し、笑みが零れる。目覚めたあとは、全身筋肉痛なのだろう。

「おーい、休憩するか?」

 今の話が聞こえていたのではないか、というくらいグッドタイミングでデュランがくるりと振り返りとアンジェラに向けて問いかける。は心の中で歓声をあげたが、即座にアンジェラの性格を思い出した。

「馬鹿にしないでちょうだい! まだまだいけるわよ」

 絶対に休憩したいに決まっているがアンジェラの勝ち気な性格はそれを許さなかった。見上げればまだまだ山道が続いていて、天は遠い。一気に疲労が蓄積した気がした。
 それからも慣れない山道を歩き続けると、休憩できるようなスペースが広がっていたため、そこで暫し休憩を取ることにした。ふと地表を見下ろせば、大海原と、遠ざかったパロの町が眼下に広がっていた。登ってきた道のりが確実に結果として現れているようで、は少し嬉しくなる。
 、デュラン、そしてリースは近くに座り込んで、水を飲み、疲労回復のためにぱっくんチョコを三人で分け合った。

「あともう少しで眠りの花畑だと思います」

 そよぐ風がリースの髪を揺らして、髪を結んでいる母の形見だという若草色のリボンが見え隠れする。山頂が近づくにつれて風が強くなってきた。

「ローラントが難攻不落だって言われている理由が分かった気がするよ」

 デュランがぱっくんチョコを口に放り込んで、ウンウン頷きながら言う。

「ローラントは自然とともに在りますからね」

 それからリースは異国から来たのために、ローラント王国がなぜ難攻不落だと言われているか丁寧に教えてくローラントが難攻不落と言われている理由として、この険しい山岳に囲われていると言うこともあるが、もう一つの要因として、風を操ることができるという点がある。城内には風を操作できる仕組みがあり、風が吹き続けることにより外敵が侵入できなくなるのだ。地からの侵入は山岳に守られて、空からの侵入は風が拒む。そういった天然要塞に守られたのがローラント王国だった。

「なるほどねえ。随分すごいところに国を作ったなって思ったけど、確かにその分侵入は難しいね」
「ローラントが襲撃を受けたときは、ナバール兵によって風を止められてしまったんです」
「ほんとに、このままこの世界はどうなっちまうんだろうな」

 デュランがパロの町を見下ろしながらポツリと言った。少しずつ世界の均衡が崩れ始めているのをじわじわと肌で感じているのだろう。この世界を守るため、フェアリーの宿主としてマナの聖域へ行く義務がにはある。そのためにこの世界に来たのだろうか。わからないが、とにかく進まなければ。皆が涙を流すことはもうさせたくない。
 とアンジェラが倒れる前に眠りの花畑に辿り着くことが出来た。正確に言えば、急激な眠気に襲われて、そこが眠りの花畑だったのだと気づいたのだった。脳から思考が奪われて、目の前がぼやける。身体中から力が抜けていき、大きな波のような睡魔がやってきて、それに身を任せて眠りの海へと誘われていく。

!」

 意識を失う前にホークアイが駆け寄ってきて、抱きすくめられたような気がした。夢か幻か現実か、確かめる間もなく、ぷつりと意識が途切れた。
 次に気が付いた時は、薄暗い場所だった。まだ頭の芯がぼんやりとして何も考えることが出来なかった。もっと寝ていたい、と目を瞑り寝返りを打ったところで、隣に何者かの存在を感じる。薄らと目を開けば、は声にならない悲鳴が身体の中を駆け巡る。慌てて上体を起こし距離を取る。

「ホークアイ……」

 すぐ隣でホークアイが眠っていたのだ。そしてあたりを見渡して、今の状況を把握しようと務める。薄暗い洞窟で、燭台に火が灯っている。そう広くはない空間だった。ホークアイ、デュラン、ケヴィン、シャルロット、アンジェラが地べたに敷かれた茣蓙のようなものの上に寝ている。一体なぜこんなところにいて、寝ていたのだろうか。と考える間に、奥からリースが見知らぬ女性とともに歩いてきた。そこで寝る直前の記憶を思い出す。リースはに気づくと、駆け寄ってきた。

、気づきましたか」
「うん。ここは一体……?」
「ここはローラントの生き残りが集まっているアジトです。どうやら私達はいつの間にか眠りの花畑にたどり着いて眠ってしまったみたいなんです。それをローラントのアマゾネスたちが見つけて、アジトまで連れてきてくれたんです」

 そこからとリースは手分けして仲間たちを起こす。それから作戦会議室に招かれてアマゾネスたちと挨拶を交わすと、リースが状況を説明をしてくれた。
 まずこのアジトは、ローラントの生き残りがナバール盗賊団に占領された城を奪還するためのものだということ。そして今、風の精霊ジンがいるであろう風のマナストーンのある風の回廊は、風が吹き荒れていて立ち入ることはできなくなっているとのこと。風を操作はローラント城でできるが、今はナバールに支配されていてそれは叶わない。
 ではローラント城を奪還するか、となると、現実的にたちが力を貸したところで正攻法ではナバール忍者軍には到底敵わない。ひとつ、可能性があるとすれば、はるか昔に竜帝との世界大戦のときに巨大な力を誇るドラゴン族を出し抜いてフォルセナの英雄王を勝利に導いたと言われる奇跡の戦術師――賢者ドン・ペリならば何か妙案を授けてくれるかもしれない、という事だった。

「ですがその方はその、人間ではなく、コロボックルなのです。コロボックルはジャドの南のラビの森のどこかに住まわれているとのことですが、人間嫌いなのでまともに行っても相手にされません。そこで、コロボックルに成りすます必要があります」

 なんだか話がすごい方向になってきたな、とは他人事のように思う。

「ちびっこハンマーと言う秘宝がバイゼルにあるらしいんです。それでちびっこになってうまくコロボックルに成りすますことができたら、案を授けてくれるかもしれないのです」

 バイゼル―――ブラックマーケットが開催されている商業の盛んな港町で、足早に通り過ぎてしまった町だ。

「そうとなればバイゼルまで行って片っ端から探そう。……リースはどうする」

 ホークアイが問う。再会を果たして間もなくの旅立ちは後ろ髪引かれることだろう。すぐに答えられないリースに、彼女の世話係だったという老爺、じいが、リース様。と名を呼んだ。

「どうかここにお残りになってください! リース様がお戻りになってやっと皆が希望を持ち始めたのに、また旅立たれてしまわれたら……」
「じい……」

 じいの言葉に、リースが悩ましげに目を伏せる。そんなリースを見ていたら、の頭にひとつ、なかなかいい案が浮かんだ。反射的に挙手をする。

「はい、ちゃん」

 ホークアイが発言の許可をくれた。

「半分に分かれるのはどう? 半分はアジトに残って、ローラントのお手伝いをする。もう半分はちびっこハンマーを見つけて、賢者ドン・ペリから知恵を授かる」
「とってもいい案じゃないか? みんなはどうだい」

 ホークアイが賛同し、他のみんなも頷いて同意を示す。チーム分けはすんなりと決まり、リース、アンジェラ、ケヴィンがアジトに残留。、ホークアイ、デュラン、シャルロットがバイゼルに向かうことになった。この世界には気軽に連絡を取るツールはないため、捜索組は二週間後を目処に、見つからなかったとしてもアジトに戻ることにした。
 今日のところは日も暮れてきて、慣れない山道を下るには危険が伴うため、秘密のアジトでお世話になることになった。アジトには漁港パロから仕入れた食べ物が保管されていて、新鮮なものから保存のきくような食品まで様々あった。リースは終始楽しそうで、そんなリースの様子にも嬉しくなる。
 一行は夕飯をごちそうになり、簡易な寝床を用意してもらってそこで雑魚寝をする。王女であるリースやその友人に対してこのような粗末な寝床しか提供できず面目が立たないと、じいは真っ白でふさふさな仙人みたいな下がった眉を更に下げたが、皆は口々に寝床を貸してくれたことに礼を言うのだった。実際、屋根がある場所に寝床を提供してもらえることは大変ありがたいことだ。

「ねえ、シャルロットにちびっこハンマーを使ったらどうなると思う? 小さくなりすぎてゴマ粒みたいになっちゃうかもね!」

 の右隣で枕を並べるアンジェラの言葉には思わず想像して、吹き出してしまった。アンジェラも声を上げて笑う。の左隣シャルロットは「そんなに小さくないでち!!!」とぷりぷり怒っていたが、コロボックルはがいた日本でもとても小さな人と言い伝えられているため、ゴマ粒はあながち間違っていないかもしれない、と密かに思った。
 翌朝、たちはアジトを出立し、山を下り漁港パロでバイゼル行きの船に乗った。前日の山登りでしっかり全身筋肉痛になった身体での山下りは中々しんどかったが、船に乗船すればあとは到着を待つだけだ。一日船に乗っていればバイゼルにたどり着く。その間に身体を休めことにした。
 船べりで水しぶきを眺めながら海風にあたっていると、ホークアイが隣にやってきた。

「船に乗ってると、ナバールを逃げ出したときのことをいつも思い出すんだ」

 ホークアイの長い前髪が風にそよいでいる。ナバールを逃げ出したとき、それはつまり、砂漠にいたをホークアイに見つけてもらったときだ。

「まさかあのとき拾った子が、こんなにすごい子になるなんて思わなかったぜ」
「すごい子? 全然だよ」

 全く思い当たる節がなくて、は笑う。冗談で言っているのかと思いきや、ホークアイは穏やかに笑んで首を横に振る。

「本当だぜ。最初は頼りなくて、右も左もわからない生まれたてのラビみたいで、オレがいなくっちゃ野垂れ死んじまうと思ったが、今じゃグループで先陣を切って頑張ってる」
「ホークアイがいなかった間違いなく野垂れ死んでたよ。それに今だって、ホークアイがいるから頑張ろうって思えるんだよ」

 とくん、とくん、と心臓が深く脈を打つ。ホークアイが褒めてくれていることが嬉しい。しかしお世辞などではなく、本当にホークアイの存在がを強くしている。頑張ろうと思わせている。ちゃんと伝わってほしくて、はまっすぐにホークアイを見つめて伝える。想いが溢れて、どうにかなってしまいそうだ。
 ホークアイは焼けた褐色の肌に似合う爽やかな笑顔を浮かべて、「ありがとな」との頭をがしがしと撫でた。
 言うなればホークアイは、全く相手にしてくれない近所のお兄さんみたいな、近くて遠い存在だ。それは出会ったときから今でも、変わらない距離だった。それが、親分と子分の距離。

「なあ、リースは残ると思うか?」

 の頭から手を引っ込めるのと同時に笑顔も引っ込めて、真剣な表情でホークアイが問うた。彼の口からリースの名が出た瞬間、の心臓が誰かに掴まれたかのようにぎゅっと締め付けられた。もしかしたら先程までの話は前座の世間話で、この話が本題だったのかもしれない。そう思うと、もっと辛かった。

「……どう、だろうね。リースの旅の目的は国の復興と、弟を探すことだったから、うまくいけば片方は叶う訳だもんね。ローラントの国の人達も、リースには残って欲しいだろうし」

 リースがもしローラントに残ったら、ここでリースとホークアイとはさようならだ。二人のことを近くで見なくて済む。
 と、そこまで考えて、自分の考えに恥じ入る。こんなときになんてことを考えているのだろうか、勝手に自分の脳内で妄想を膨らませて、感傷的になるなんて。

「とにかく、わたしたちのミッションはちびっこハンマーを見つけて、ドン・ペリさんから策を授かることだよ。リースもきっとこの期間に色々考えてるはずだし、わたしたちにできることを頑張らないとね」
「……そうだな。ほんと、は成長したな」
「親分のおかげですぜ」
「ははは、よくできた子分をもって幸せだぜ!」

 いつかは親分と子分の関係から、進展できるのだろうか。
 もう誤魔化せない、ホークアイへの想いは、他のみんなへ抱く思いとはちょっと色が違う。デュランにも、ケヴィンにも抱いていない、淡くて切ない想い。
 この世界の人間ではないのに、なんと愚かなのだろうか。聖域に行き、聖剣を抜いたらの役目は終わり。きっと元の世界へと戻されてしまうだろう。それでも、消すことができない強い想いだった。

「でもまあ、あんまり無茶するな。いつだって一番に頼ってくれよ」

 ホークアイの琥珀色の瞳が優しく細められた。は頷いて、勿論、と微笑んだ。